「○○町のAだけどね」
電話口の向こうで、声の感じから80歳は超えていると思われるその老人は、こう自己紹介をした。
電話でいきなりそう言われても、すぐに思い当たる顔は浮かばない。「Aさん、下のお名前は?」と聞いてみたものの、下の名前を聞いても思い当たる人物はいない。勇気を出して「あのー、失礼ですが、私の事務所でAさんのこと、どのような依頼を受けていましたっけ?」と聞いてみる。
「そうだなあ、20年ぐらい前かなあ。あんたのお父さんにいろいろやってもらったよ」
そういうことか。父も司法書士をしていたが3年前に他界した。それに、20年前というと私と父は別の事務所を構えていたので、私がAさんのことを知るわけがないのだ。
「そうでしたか。それはお世話になりました。当時は別の事務所を構えていたものですから存じ上げませんでした。失礼しました。それで、今日はどのようなお話ですか?」
私は、電話をいただいた趣旨を何回か聞こうとしたが、「土地をどうしたらいいのか」、「なかなか説明するのが難しい」と繰り返すばかりだ。とにかく、一度家に来てほしいというのだ。
お年寄りのようだし、物事を整理して話をすることもあまり得意ではなさそうだ。それに、以前父が仕事をした相手だけに無碍な対応をするわけにはいかない。
「わかりました。いつ頃がよろしいですか?」
「息子がいた方かいいから、夜8時頃にしてほしい」
夜8時? まあ、乗り掛かった舟だ。それに、○○町と言えば高級住宅街。○○町のAさんという苗字なら、もともと大地主かもしれない。「息子がいた方がいい」というぐらいだから、遺言を作りたいとか相続対策をしたいという話だろう。○○町は車で20分ぐらいのところだ。いずれにしても、夜8時に行っても、それなりの仕事になる話だろう。親子ともども、ありがたい話だ。
数日後、カバンの中に、事務所で使っている遺言の説明書や相続関係の打ち合わせシート、委任状類を詰め込んで、Aさんの家に伺った。なるほど、道路側は大きな岩で石垣を組んだ立派な構えの家だ。
Aさんが玄関まで出迎えてくれ、中に案内してくれた。広い玄関から応接室に通され、ゆったりとしたグリーンの革張りのソファに座る。
壁に掛けられた大きな肖像画がこちらを見ている。金色に輝いて半周回ると逆方向にまた半周回る時計の振り子のような飾りが音もなく動き続けている。キャビネットには年代ものの洋酒の瓶が鈍く光っている。いかにも昭和の時代に成功した証を残した応接室だ。
いきなり本題に入るよりもお互いにリラックスした方がいいと考え、父が世話になったことなどをAさんに話しかけた。すると、Aさんは、「そんなことどうでもいい」と言わんばかりの勢いでいきなり本題を切り出した。
「あの塀、白く塗ってもいいかね」
Aさんは、窓から見える隣の家との境の塀を指さして私の顔をのぞき込んだ。
「え、へい? ですか?」
「いいって言ってくれれば隣の人に「司法書士がいいって言った」って言えるからね」
ど、どういうことだ。遺言とか相続の話ではないのか。そういえば、息子は部屋に入ってこない。へい? ひょっとして、境界の問題の話なのか・・・。
「塀って、あの塀は境界のこっちですか、向こう側ですか、それとも境界上に建てた塀ですか? その塀は誰が作ったんですか?」
いろいろ聞いてみたが、Aさんの説明は要領を得ない。そこで、「ちょっと塀を見せてくれますか」と言ったものの、一体どういう話に展開していくのか想像がつかない。
Aさんと二人で花壇に生えた花を避けながら塀にたどりついた。どうも、この塀は隣家の敷地内に隣家が築造したもののようだ。コンクリート打ちっ放しだが、そこそこ年数が経過しているようであり、全体的に黒ずんでいる。
「せっかくの花壇の花が黒ずんだ壁で台無しだ。白く塗ればきっと花もきれいに見えるはずだ」
「そりゃそうかもしれないけど、隣の人の壁だから、勝手に塗るのはダメでしょ。」
私がなだめるように話していると、奥から息子さんらしき人が声をかけてきた。
「じいじ。あれほどダメたって言っただろ。先生、どうもすいません」
「え、ええ?」
なんとなく察しがついた。Aさんは不服そうな顔をしてうつむいてしまった。
そういうことだったのか。昼間に呼んでくれれば「今のままの方が花がくっきり見えるから、絶対いいよ」と言ってあげたのに。
家に帰って脱いだ靴には花壇の土がベットリついていた。
こんなこともあるわさ。
投稿者プロフィール
-
古橋 清二
-
昭和33年10月生 てんびん座 血液型 A
浜松西部中、浜松西高、中央大学出身
昭和56年~平成2年 浜松市内の電子機器メーカー(東証一部上場)で株主総会実務、契約実務に携わる
平成2年 古橋清二司法書士事務所開設
平成17年 司法書士法人中央合同事務所設立
この記事を読んだ人はこんな記事も読んでいます
寄与分請求における「特別の寄与」と特別寄与料における「特別の寄与」 【寄与分請求における「特別の寄与」と特別寄与料における「特別の寄与」】
従来の寄与分の請求における「特別の寄与」と、特別寄与料における「特別の寄与」とはどのような違いがありますか。
回答
従来の寄与分の請求における「特別の寄与」は、寄与の程度が被相続人と相続人の身分関係に基づいて通常期待される程度の貢献(「通常の寄与」)を超える「高度な」ものであることが要求されます。 […]
パートさん募集中! いっしょに働きませんか? パートさん募集中! いっしょに働きませんか?
◆仕事内容は、登記関係書類の作成・整理、財産管理している個人のお客さんの経理処理(と言っても、通帳を見て簡単な会計ソフト使ってパソコンに転記するイメージ)、市役所等での住民票等の取寄せ(社用車使用)などです。
◆パートさんを含め、7名のアットホームな事務所です。
◆明るい方。未経験者も積極的に応募してください。子育て中の方も […]
いっしょに働きませんか? 正職員・パートタイマーを募集しています! いっしょに働きませんか? 正職員・パートタイマーを募集しています!
当事務所は、浜松駅から北東に徒歩10分の司法書士事務所です。相続や売買などの不動産登記、会社設立や役員変更などの会社の登記、金銭トラブルや後見制度などの裁判業務、その他法律関係の仕事を行っています。
現在は、司法書士3名、事務員4名のアットホームな事務所です。業務多忙のため、正職員1名・パートタイマー […]
【動画】コロナウイルス問題でどんな法律問題が起きてくるか? 送別会のキャンセル料は? ローンの返済は? そして、中止された研修会の講師料は? コロナウイルス問題でどんな法律問題が起きてくるか? 送別会のキャンセル料は? ローンの返済は? […]
訴訟代理人は依頼者にストーリーを語らせよ ― 訴訟代理人の極意 ― 訴訟代理人は依頼者にストーリーを語らせよ
― 訴訟代理人の極意 ―
(本稿は、「月報司法書士」2016年9月号に寄稿したものです。内容は、一部事案を変更し、または複数の事案を組み合わせています)
1.心地よい疲れ […]
【動画】静岡県司法書士会研修会 「相続法改正の施行時期と適用場面」 【動画】静岡県司法書士会研修会 「相続法改正の施行時期と適用場面」
7月27日、台風で開催が危ぶまれましたが、予定どおり、静岡県司法書士会第1回会員研修会「さらにパワーアップ 相続実務必携 「相続登記の専門家」から「相続の専門家」になる」が開催されました。
参加申込みは、なんと252名! 昨年開催された研修会の最高が約140名とのこと。とんでもない記録的な参加申込みと […]
【動画】自筆証書遺言書保管制度始まります! 第二話 やっぱりハードル高くない? 自筆証書遺言書保管制度始まります! 第二話
やっぱりハードル高くない?
募集設立時の代表取締役の選定方法 募集設立により株式会社を設立する場合には、設立時取締役は創立総会で選任することとされていますが(法88条)、設立時代表取締役の選定方法については規定されていません。この場合、取締役会設置会社でない限り、定款の定めによる設立時取締役の互選によるほか、創立総会における決議事項は限定されないものと考えられますので、法66条の制限もあります。しかしながら、設立時代表取締役の選定は法6 […]
設立時代表取締役の就任承諾書 取締役1名の株式会社の設立の登記の際、設立時取締役の就任承諾書は添付書類とされています。しかし、設立時代表取締役としては選任又は選定された者ではないため就任承諾書は添付する必要はないと考えられます(商業登記法47条2項10号参照)が、いかがでしょうか。
ご意見のとおり。 […]
【動画】根抵当権の債務者の相続、指定債務者の合意、そして、その先の話 根抵当権の債務者の相続、指定債務者の合意、そして、その先の話
https://youtu.be/HI97-BRqzUY
真っ直ぐ線を引けるか? 畑で畝を真っ直ぐ作るのはなかなか難しい。まず、耕耘機で耕すのだが、真っ直ぐ進んだつもりでも振り返ると曲がっている。また、そのあと、鍬で溝を掘っていくが、これも少し曲がってしまう。こんな作業をしているとき、いつも高校1年生の頃を思いだす。
昼休みに弁当を5分で胃に詰め込み、雨が降っていない限り、グランドに出て、ラインカーで白線を引いていた。放課後の部活動の準備だ。
ま […]
可分債権を遺産分割の対象とすることの可否 【可分債権を遺産分割の対象とすることの可否】
貸金債権のような可分債権の相続においては、当該債権が遺産分割の対象となるかどうかが問題となります。判例では、被相続人が相続開始時に有していた貸金債権は、相続開始とともに当然分割されて各相続人に法定相続分に応じて帰属することになるため、遺産分割の対象とならないとされています(最判昭29.4.8)。
しかしながら、裁判所の実務で […]
「二段の推定」の典型例 「二段の推定」の典型例 所有権保存登記抹消登記手続等請求事件(高知地裁(第一審)平成21年2月10日)
事案
原告は、全財産を相続する旨の遺産分割協議が成立したとして,被告が作成したとする証明書を提出。これに対し,被告は,本件証明書に署名したことはなく,印影も被告の実印とは異なる旨主張し,本件証明書は司法書士が勝手に作成したものであると主張。
事実認定
[…]
【動画】『再考 司法書士の訴訟実務』間接事実と経験則を積み上げて立証を試みる 【動画】『再考 […]
遺産分割協議がまとまる前に払戻しが認められるのは預貯金の一部と聞きましたが、同一の金融機関に複数の預金がある場合はどのような金額が払戻可能ですか。 遺産分割協議がまとまる前に払戻しが認められる預貯金の額は、相続が発生した時点における残高の3分の1に、払戻しを求める相続人の法定相続分を乗じた額です。ただし、金融機関ごとに150万円が限度とされています。
そして、ここでいう「預貯金の額」は、預金毎に考えられることになります。たとえば、ある金融機関に故人の普通預金300万円と定期預金1200万円がある場合で、払戻しを求め […]
銀行にとっては小さなことかもしれないが、顧客にとっては大変な問題なんだ! 十数年前に「登記情報」という雑誌にコラムとして書いたことあるが、同じ問題がまた生じている。検認を受けた自筆証書遺言。全文、日付、氏名が自筆で書かれ、押印もされており、法律上の要件は全て満たしている。遺言の内容も一義的に解釈され、疑義を挟む余地はない。既に、この遺言を使って複数の銀行預金を解約し、不動産登記も済ませている。ところが、ある銀行だけ、被相続人である遺言者の預金の解 […]
大根十耕と新人研修 大根十耕とは、「大根の種を蒔く前に土を十回耕せ」と言う意味です。
大根のような根物は、土の塊や石などがあると、曲がったり、又根になったりして真っ直ぐ伸びず、品質が落ちてしまうのです。
そろそろ大根の秋まきの時期です。10回は無理ですが、耕耘機でよ~く耕して畝を作りました。左側は表面をならした畝、右側はこれから表面をならす畝です。
ところで、今、静岡県司法書士会では […]
非取締役会設置会社における取締役及び代表取締役の就任による変更の登記に印鑑証明書を添付する場合 ○代表取締役の選任を証する書面に係る印鑑証明書(商登規第61条第4項第1号,第2号)
次に掲げる印鑑につき,当該印鑑と変更前の代表取締役が登記所に提出している印鑑とが同一である場合を除き,市区町村長の作成した証明書を添付しなければならないとされた。
(a) 取締役が各自会社を代表するときは,議長及び出席した取締役が議事録に押印した印鑑
(b) […]
「改正相続法の施行時期と適用場面」講義録 「改正相続法の施行時期と適用場面」講義録
この講義録は、令和元年7月27日に開催された静岡県司法書士会第1回会員研修会を再現したものです。平成30年改正相続法の経過措置について詳しく解説いたします。動画もあります。
講義録はこちら […]
【動画】危急時遺言のポイント 【動画】危急時遺言のポイント
https://youtu.be/NLybwQZnkRk
関連
コメント
日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)