私が遺言に想いを込める理由(わけ)

ある日の夢


 数年前のことです。私は、ある夢を見ました。
 それは、私が、70才ぐらいの初老のおじさんにインタビューをしている夢です。夢ですから、インタビューをしている後ろ姿の私と、こちらを向いている初老のおじさんの二人が椅子に座って対談をしている様子が見えたのです。
 おじさんは、まるで、ドキュメンタリー番組のように真っ暗な背景から浮き上がってクッキリと見えました。

 詳しい話の内容は覚えていませんが、おじさんは、そこそこ有名な会社を定年まで勤め上げ、その企業の発展のために尽力し、そのこともあって、部長クラスまで昇進しました。おじさんは、目を潤ませながら、家族にも話せなかったその時の苦労話を私にしていたのでした。

 私の見ている夢はそのまま続きましたが、私とおじさんの対談風景がスーっと小さくなっていったかと思うと、そのままテレビモニターの中の映像になってしまいました。
 そして、そのモニターもそのままスーっと小さくなっていき、そのモニターをおじさんの家族や親戚らしい数人が和室の畳の上で見ていたのでした。

 その家族や親戚たちの服装は、見るからに葬式か法事の後でした。そして、モニターを見ながら、「そんなこと知らんかった」「初めて聞いた」などと言っているのでした。

 そこで私は夢から目覚めましたが、この夢は何故か印象深く心に残っていました。

私は何も知らなかった


 その数ヶ月後でしょうか、遺言を作りたいという80歳近い女性の方のお話を聴く機会がありました。よくお話しされる方で、具体的にどの財産を誰に譲りたいのかという打ち合わせが終わった後、いろいろなことを話してくれました。

「あんたねー、昔はね、朝5時頃起きて、まず竈(かまど)に火をおこすのよ。それで、井戸で水を汲んできてお湯をわかすのよ。寒い時は指がパックリ割れて大変なのよ」

 という具合です。私は、「へー」「そんな時代もあったんですね」と繰り返すばかりです。

「戦争の時は、艦砲射撃がヒュンヒュン頭の上を飛んでってね、町の方は真っ赤に燃えているの。きれいだったよ」

 などと話は続いていくのでした。

 私は昭和33年生まれですので、両親の実家に竈があったことをなんとなく覚えているくらいで、もちろん戦争のことなど全く知りません。思えば、私などは、食べ物にしても、物にしても、本当に満ち溢れた時代に生きてきて、ほんの少し上の年代の方々がどういう暮らしをしていたか、何という激動の時代を生き延びて来たのかなど、知る由もなかったのです。

 その時、以前見た初老のおじさんの夢を思い出して、私は「ハッ」としたのです。

 そうだ、私は自分の親のことすら知らないことばかりじゃないのか。更に言えば、自分の親を育てた祖父母はもちろん、曾祖父母のことなどほとんどいっていいほど知らないのです。

 世の中では、実に多くの遺産相続争いが行われています。それは、財産の分け方が平等ではないとか、あいつは以前から特別に何かもらっていたとか、親の面倒を見ないような者が権利ばかり主張するのはおかしいとか、とにかく、ゼニ、金の問題で争っているのです。

遺産は天国からの授かり物


 でも、考えてみれば、遺された不動産や預金などの相続財産は、私たちの先祖が農業機械などない時代に日の出から日没まで這い回るようにして働いた畑であったり、戦争で焼き出されながらもすごいエネルギーで立ち直りながら蓄えたものであったりと、本当に苦しい時代を生き抜いて来た結果遺されたものだということに思いを馳せる必要があると思います。

 そして、それは、父母、祖父母のみならず、太古の昔から綿々と受け継がれてきたものなのです。それを今、この世代で相続人が自分たちの権利ばかりを主張して相続争いをすることを、私たちの先祖はどのように見ているのでしょうか。

 こうした悲しい争いを防止するためにも、また、この大切な相続財産を脈々と子孫に残して有効に利用してもらうためにも、親の生き様や考え方、家族に対する想いを子供達に伝えていくことが必要ではないかと考えるようになったのです。

 しかし、日本人の多くは寡黙で内気ですし、そうしたことを言葉で説明すること自体、苦手な方が多いのではないでしょうか。

想いや生き様を語り継ぐ


 私の事務所では、こうした考えに基づいて、遺言を作る際には、どうして遺言を作ろうと思ったのか、なぜこういった遺言にしたのか、家族に対してどのような想いがあるのかなどを、通常の遺言事項(誰にどの財産を相続させるかというようなこと)に添えて書くようになったのです。

 それは、次第にエスカレートしていき、極端な例では、遺言事項は1頁だけで、残りの19頁は家族に対する想いがつづられているような、独特の遺言になっていきました。しかし、単に感傷的になるような遺言を作成しているのではなく、この相続人に対してはこういう言い方で語りかけるべきだ、あの相続人にはあのことを説明しておきべきだ、ということを法的効果を考えながら文章を考えているのです。

 こうして作成した遺言の文章は、公証人が全て読み上げることによって完成します。その際、遺言者が涙を流すだけではなく、同席している私たちも目頭が熱くなることは珍しいことではありません。

 そして、遺言者が亡くなって、この遺言を相続人が読んだときは、きっと相続人は、亡くなった親の顔を思い浮かべて相続争いをする気もなくなるのではないかと思うのです。

悲しい相続争いを避けるために


 私は、こうした私の事務所で作成する特徴ある遺言を、事務所の名前をつけて『中央式遺言』と呼んでいますが、『中央式遺言』は、単に「財産を誰に相続させる」といったことを法律上のルールにしたがって書いただけの遺言とは全く価値が違うものであると思っています。

 是非とも、財産を上手に遺したい方、財産や家業の承継を考えている方には、『中央式遺言』によって想いを伝え、相続人が憎しみ合うような悲しい紛争を未然に防止していただきたいと思います。そして、円滑に相続手続きを進めていただくことにより、財産のみならず、先代の思いも子々孫々に伝えていっていただくことを願ってやみません。

 司法書士法人中央合同事務所
代表 古 橋 清 二