3 新たな債務負担による相殺の禁止
破産債権者は、次に掲げる場合には、相殺をすることができない(法71Ⅰ)。元来、相殺は、相殺の意思表示時に自働債権と受働債権が相殺適状にある限り、両債権の取得時期にかかわらず相殺することができるが(民法505Ⅰ)、破産法は、債権者平等の観点から、これに対する例外として、相殺できない場合を規定しているのである。
① 破産手続開始後に破産財団に対して債務を負担したとき
② 支払不能になった後に契約によって負担する債務を専ら破産債権をもってする相殺に供する目的で破産者の財産の処分を内容とする契約を破産者との間で締結し、又は破産者に対して債務を負担する者の債務を引き受けることを内容とする契約を締結することにより破産者に対して債務を負担した場合であって、当該契約の締結の当時、支払不能であったことを知っていたとき
③ 支払の停止があった後に破産者に対して債務を負担した場合であって、その負担の当時、支払の停止があったことを知っていたとき。ただし、当該支払の停止があった時において支払不能でなかったときは、この限りでない。
④ 破産手続開始の申立てがあった後に破産者に対して債務を負担した場合であって、その負担の当時、破産手続開始の申立てがあったことを知っていたとき
たとえば、上記のうち②についていえば、「破産債権者が、支払の停止又は破産の申立てがあったことを知った後、破産者から商品を買い受けて代金債務を負担し、これを受働債権として破産債権と相殺する場合などを考えてみると、破産者が既に破産状態にあり、破産債権者が破産者に対して有する債権は、経済的に名目額の価値がないにもかかわらず、破産債権者において、それを知っていながら、破産者から商品を買い受けるなどして新たな債務を負担し、それと相殺することにより、名目額による債権の満足を得ようとするものであって、破産法に定める債権者平等の観点からして、相殺権の行使は権利の濫用に当たるということができる」(大阪高判平成15年3月28日(金法1692号51頁、金商1173号35頁))ため、これを禁止しているものである。
なお、②乃至④については、その債務負担が法定の原因、支払不能であったこと又は支払の停止若しくは破産手続開始の申立てがあったことを破産債権者が知った時より前に生じた原因、又は破産手続開始の申立てがあった時より一年以上前に生じた原因であるときには適用されない(法71Ⅱ)。
支払停止後に債権者である金融機関が預金債務を負担した場合(すなわち、借入をしている金融機関の普通預金口座に、支払停止後に入金があった場合)、金融機関はこれを相殺することができるかについて、多くの場合は最判昭和60年2月26日(金法1094号38頁)の射程に入るであろう。
この事例は、金融機関が普通預金契約自体は「支払の停止があった後」ではないことを理由に相殺の有効性を主張して上告したものであるが、同判決は、「本件預金債務は上告人が○○○○の支払停止の事実を知つた時より前に生じた原因に基づいて負担したものとはいえ」ないとして、上告を棄却した。なお、原審では「支払停止前の右普通預金契約では○○○○への振込による入金により預金が成立する旨の一般的合意が契約になっているに過ぎないから」、金融機関としては「一般的な相殺期待を有しているにすぎず、このような一般的相殺期待は保護に値せず、結局右普通預金契約をもって具体的かつ直接的な原因に該当するとは到底いうことができない」としている。
一方、破産申立以前に指定振込の約定がされており、その約定に基づいて破産申立後に破産者の預金口座へ振込まれたことにより生じた金融機関の預金債務の負担が、旧法104条2号但書の「前ニ生ジタル原因」に基づく債務の負担にあたるとされた事例もあるので留意が必要である(名古屋高判昭和58年3月31日(判時1077号79頁、判タ497号125頁)。
また、①の「破産手続開始後に破産財団に対して債務を負担したとき」とは、債務の停止条件が破産手続開始後に成就した場合のすべてを含むものではなく、破産手続開始時に相殺の合理的担保的期待が存在する場合には、受働債権の停止条件が破産手続開始後に成就したとしても相殺が認められるとする判例がある(福岡地判平成8年5月17日(金法1464号32頁、判タ920号251頁))。
この事例は、破産管財人が損害保険会社に対し保険契約の解約を理由として解約返戻金の返還を求めたところ,保険会社が破産会社に対して有する債権との相殺を主張してその返還義務を争った事例であるが、当該保険は損害保険の一種である積立保険であり保険事故発生率は低く、満期返戻金又は解約返戻金を支払うかのどちらが発生する蓋然性は極めて高く、保険会社側もそれを予測して、約款上も、自動振替貸付及び契約者貸付などの制度を設けて一種の金融的機能を果たしているうえ、保険契約者側も、このような保険につき一種の預金的認識を有しているのは明らかであるから、保険会社にとって、保険料の受入れは、その補償料部分を除けば、銀行における預金受入行為と類似する側面が認められることは否定できず、銀行が預金の受入れにより預金返還債務を受働債権とする相殺の期待を持つのと程度の差はあれ、保険会社は、保険料の受入れと同時に、将来保険会社が生じる可能性のある債権との相殺を期待しており、このような期待は正当なものと考えられるとしている。
これに対し、破産管財人が金融機関に投資信託の解約を請求したところ、当該金融機関に開設している破産者の預金口座に解約金を振り込んだ場合、これによって当該金融機関は解約金相当額の預金返還債務を負担したと認められるため、金融機関がその後に当該債務を受働債権として相殺することは、破産手続開始後に負担した債務を受働債権とする相殺として許されないとする判例がある。解約金請求権が預金返還請求権に転化した場合、「本件預金口座への入金が破産手続開始後のことである以上,被告の預金返還債務の負担が破産法71条1項2号ないし4号には該当せず,同項1号に該当することは否定し難い」としている(大阪地判平成23年10月7日(金法1974号127頁、判時2148号85頁))。
③の「支払の停止があった後に破産者に対して債務を負担した場合であって、その負担の当時、支払の停止があったことを知っていたとき」に相殺が許されないのは、「破産債権者が、債務者(後に破産宣告を受けた者)が危機状態にあることを知りながら、債務者に対する債務を負担し、自己の有する債権と相殺することを許せば、破産債権者平等の理念に反する結果となるので、そのような相殺を禁止するというもの」と説明される(東京高判平成10年7月21日(金商1053号19頁))。
なお、同判決は、破産債権者が支払いの停止ではなく「支払不能であることを知っていたことは要件として挙げていないが、むしろ、支払不能が破産手続開始原因であり、支払停止は支払不能を推定する前提事実であって、債務者の支払不能を知ることは、債務者が破産の危機にあることをより確実に知ることであること、債務者が支払不能であることを知って同人に対し債務を負担した破産債権者に相殺を認めて、支払停止を知って同人に対し債務を負担した破産債権者よりも保護すべき理由はないことを考慮」し、支払不能であることを知っていた場合にも類推適用を認めるのが相当であるとしている。同旨に、名古屋地判平成16年5月24日(判時1887号93頁)がある。
相続、合併のような一般的な承継や事務管理、不当利得など、破産債権者の債務負担が法定の原因に基づく場合は、その債務負担が債権価値の下落を補填するための手段として行われたものではなく、相殺権の濫用に当たるということはできないから、相殺禁止から外されている。
前掲大阪高判平成15年3月28日は、破産者の母が死亡したことにより相続が生じ、破産債権者が破産者に対し破産者の法定相続分である預金債務を負担した場合に、預金債務は法定の原因に基づくものであるということができるから、破産債権を自働債権とし、預金債権を受働債権として相殺することは有効であるとしている。また、相続放棄によって破産者のみが相続人となった場合にあっても、当該相続放棄により破産者が相続した残余の部分についての相殺も有効であると解している。
「司法書士のための破産の実務と論点」(古橋清二著 2014年4月民事法研究会発行)より