2 全国的な活動への発展

全国に、クレサラ問題を扱う司法書士が少しずつ増え続けていた。もっとも、それぞれが各地で少しずつ経験を積み上げていったわけであるから、それぞれ の司法書士の経験や知識という点においてはかなりのばらつきがあったと思われる。しかし、そういった技術面はともかくとして、被害者を救済するんだという強い気持ちは各地に萌芽していた。そして、手探りのような状況で日々の救済活動を行っていた者たちが他の司法書士はどのように対応しているのか知りたいと考えるのは自然の成り行きであり、平成7年、名古屋において、全国から約50人の司法書士が集まり、「クレサラシンポジウム」が行われた(この会議は、その後全青司が主催者となった後、日司連がこれを引き取り、現在は日司連主催の「消費者問題対応実務セミナー」として引き継がれている)。

人数は増えてきたとはいえ、当時クレサラ問題に取り組んでいる司法書士は、ある意味「変わり者」扱いされていた。「弁護士法違反ではないのか」「どうして金を返さない者の味方をするのか」などと、地元の司法書士の理解を得られないこともあったと思う。そうした鬱積した状況の中で集まった約50人は、お互いの顔を見て「全国にはこんなに猛者がいたのか」、「同士がこれだけいれば司法書士も捨てたものではない」などと感じたに違いない。

そして、この情報交換会に合わせて出版された「クレジットサラ金被害者救済の実務」(芝豊、古橋清二共著 民事法研究会)により、司法書士が裁判書類作成業務としてどのような方法論で救済に関わるか、中でも破産手続にどのようなかたちで関わるかということがより明確に示され、その後の救済活動の広がりに弾みをつけることになった。

そして、平成8年に開催された第2回クレサラシンポジウムでは、沖縄の宮里徳男司法書士から調停を用いた救済法が報告され、その後、調停に対しても司法書士が書類作成を通じて本人を支援していくというスタイルが確立していく契機となった。なお、宮里司法書士は、報告の中で「調停は債務者の更生の上で非常に有益だと考えております。代理で多重債務問題を解決するべきではないと私は思っています。異論もたくさんあるでしょうし、怒られるとも思いますが、債務者自身を正面に立てることを僕は非常に重視してやっています。ですから、債務者の話合いというか、教育にかける時間をうんと長く取ります。調停に行って帰ってきたらまた打ち合わせをする、ということをなるべく繰返すようにしています」と報告している(「サラ金超調停法」(平成8年 全国司法書士クレジット。サラ金問題情報センター))。

このように、債務者の更生を最終的な目標としていることは当時から大前提であったことがわかるし、そのために本人を中心に据えて司法書士が側面から支援をしていた状況を読みとることができるのである。

 

 

「司法書士のための破産の実務と論点」(古橋清二著 2014年4月民事法研究会発行)より

古橋 清二

昭和33年10月生  てんびん座  血液型 A 浜松西部中、浜松西高、中央大学出身 昭和56年~平成2年 浜松市内の電子機器メーカー(東証一部上場)で株主総会実務、契約実務に携わる 平成2年 古橋清二司法書士事務所開設 平成17年 司法書士法人中央合同事務所設立